アジア連帯経済フォーラム
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   ◆グローバルに広がる 連帯経済のネットワーク

内田聖子(PARC事務局長)


 「連帯経済」の理論と実践は、一九八〇年代の中南米に始まり、九〇年代にカナダのケベック、そしてフランス、イタリア、スペインなどヨーロッパ諸国に広がった。
 八〇年代初めの中南米では、債務危機に瀕した国々に国際通貨基金(IMF)が構造調整プログラムを導入したことで、小農民や漁民、都市のスラム住民などがいっそう貧困化していった。人びとは協同組合やコミュニティ組織、地域通貨、そして失業者や土地なき農民の相互扶助など、考えられる限りの手段を講じて必死に食べていこうとした。この生存をかけた運動が「連帯経済」である。
 一方、先進国においては、経済発展あるいは九〇年代以降の経済のグローバル化の過程で生じた環境破壊や労働問題、ジェンダーの不平等などの解決をめざし、市民社会はさまざまな活動を始めた。消費者協同組合やフェアトレード、NPO・NGO活動、ソーシャル・ファイナンスや社会的企業である。これも「連帯経済」の実践である。
 必然と背景は違うものの、「南」と「北」で起こったこれらの動きは、特に九〇年代以降に、EUや北米、中南米を中心にネットワーク化がなされてきた。大陸ごとにその性格も重点を置くテーマ・分野も異なるが、連帯経済の担い手の経験交流を促進し、地域に根ざした多様な活動を、グローバルなレベルでの連帯経済へと再定義しようとする点において共通している。
 連帯経済を推進する国際的な取り組みには、大きく分けて二つの側面がある。
 一つは、各大陸・地域内における事例の収集とネットワークである。たとえば北米の団体「草の根の経済(GEO)」や、フィリピンの「社会的責任ある中小企業アジア連合(CSR-SME)」は、自国内における「連帯経済」の事例を調査し、その出会いを通じて「連帯経済」という概念を共通化していく取り組みを行なっている。CSR-SMEはこのプロセスを「学びの旅」(Leaning Journey)と名づけている。
 もう一つは、各大陸ごとに数年に一度のペースで、国際フォーラムや会議を行ない、国内外の実践者や研究者、NGOなど多様な層が経験を交流させ、連帯経済の要素や原理について議論を交わす場を設けるという動きだ。
 第一の波は、中南米から始まった。
 一九九八年、ブラジルのポルトアレグレで開かれた「第一回連帯文化と連帯社会経済のラテン集会」には、ブラジル、メキシコ、アルゼンチン等の中南米諸国から参加者が集い、「ラテンアメリカ連帯経済ネットワーク」を結成した。その背景には、幾千もの人びとの生きるための手段としての実践とそのつながりがある。
 二〇〇一年から始まった「世界社会フォーラム(WSF)」の場でも、連帯経済は反グローバリズムの大きな潮流に伴走するかのように、常に主要なテーマとして位置づけられている。
 もう一つの大きな流れは、カナダ・ケベックを中心とする動きだ。一九九七年には、「ケベック連帯経済グループ」が中心となって「連帯経済を推進するインターコンチネンタルネットワーク(RIPESS)」を立ち上げ、現在では世界60の連帯経済グループとネットワークが参加している。RIPESSはペルーのリマ、ケベック、セネガルのダカールにて、また二〇〇九年四月にはルクセンブルグにて連帯経済フォーラムを開催してきた。「北米連帯経済ネットワーク (NANSE)」とともに、現在国際的な連帯経済の推進に大きな役割を果たしている。
 一方、EUにおける連帯経済は、主に社会的責任ある投資(SRI)やソーシャル・ファイナンスなどの事例や、協同組合運動、フェアトレードなどを中心に広がっている。特にモンドラゴンに代表されるように、ヨーロッパでの協同組合の歴史は古く、また倫理銀行やグリーンファンドなど金融・投資分野での経験も厚い。二〇〇一年の世界社会フォーラムにて、パリに本拠を置く「責任のある、多元的な、連帯する世界のための同盟(アライアンス21)」の連帯経済部会の推進によって、「連帯社会経済のグローバルネットワーク(WSSE)」も誕生した。
 そして、グローバル経済の「震源地」であり続けた米国においても、この数年で連帯経済の流れが活発化している。二〇〇七年、「米国社会フォーラム」が開催された際、NANSEやRIPESSとの交流によって、米国内の連帯経済ネットワークの立ち上げが議論され始め、二〇〇八年夏、「米国連帯経済ネットワーク(USSEN)」が結成された。
 ちなみに、米国連帯経済ネットワークは、二〇〇九年三月、初めての連帯経済フォーラムを開催、主催者の予想を大きく超える四〇〇人近くの参加者が国内はもちろんのこと、ケベックや中南米諸国からも集まった。
 二〇〇八年秋からの深刻な経済危機とオバマ政権の誕生によって、この会議はタイムリーなものとなった。あるワークショップでは、「オバマ政権下でのグリーン・ジョブ運動と連帯経済の関係」について議論された(註2)。参加者の多くは、グリーン・ジョブ運動と連帯経済には多くの共通点があること、そして連帯経済の実践はグリーン・ジョブ運動にとって重要な役割を持つと考えていたという。ある参加者はこう述べている。
 「グリーン・ジョブ運動と連帯経済は、必ずしも同じものではない。たとえば、テキサスの石油王であるブーン・ピケンズは、ミッドウェスト地域を世界最大の風力発電の供給地にするために、風力タービン導入を進めている。確かに風力発電は『グリーン・エコノミー』だ。しかし彼は連帯経済を促進するために必要な、労働者と地域による自然資源や土地の所有などにはおそらく無関心だろう。だからこそグリーン・ジョブ運動に対して連帯経済は提案していくべきであるし、私たちが参入するべき領域である」
 こうした動きの中で、アジア全域をカバーするような連帯経済ネットワークはこれまで存在せず、実践者の交流や議論の場が欠けていた。しかし、二〇〇七年一〇月、フィリピンのマニラにてアジアで初めての「アジア連帯経済フォーラム」が開催され、国内外を含めて七〇〇人もが集まった。その最大の成果は、社会的企業と社会的責任ある投資者の出会いが可能になり、アジア各地の様々な連帯経済の実践交流が実現したことだった。
 このフォーラムにて、二〇〇九年一一月、日本で第二回目の連帯経済フォーラムを開催することが決定した。日本には生協やワーカーズコレクティブ、有機農業や農村における女性の起業、NPOバンクなど、アジアに発信するべき連帯経済の事例が数多くある。また、日本ではいま、すさまじい雇用悪化と生活維持の危機の波が吹き荒れている。その意味では、「北」と「南」という構図を超え、生存と、人間としての暮らしを取り戻すための運動が必要だ。連帯経済フォーラムが国内・国外の実践者たちの出会う場となり、この世界に共助の空間を広げていくための一歩になることを願っている。

(2009年5月10日)

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