アジア連帯経済フォーラム
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   ポルトアレグレがつくる新しい世界

   参加型民主主義と連帯経済の源流


   小池洋一(立命館大学教授/PARC理事)


★反グローバリズムとオルタナティブを体現する町
 ブラジル南部リオグランデドスル州都ポルトアレグレは、世界社会フォーラム(WSF・P16囲み参照)発祥の地であり、二〇〇一年の第一回大会以降、その中心的な舞台となってきた。WSFは、世界の政官財界の指導者や識者を集め、スイスのダボスで開催される世界経済フォーラム(WEF)に対抗して生まれた。「もう一つの世界は可能だ」がその合言葉である。世界を覆う市場経済化とグローバル化の大波が、金融危機や失業、経済格差、貧困、環境破壊などの災禍を人びとにもたらすなかで、WSFは反市場主義、反グローバリズム運動の連帯の場となった。
 WSFがポルトアレグレで誕生した背景には、直接的には一九八九年以降二〇〇四年まで政権の座にあった労働者党(PT)のイニシアチブがあるが、同時に、ポルトアレグレでは労働者党政権のもとで参加型予算や連帯経済など先駆的な試みがなされてきたことがある。反市場主義や反グローバリズムの運動はしばしば感情的でオルタナティブが欠落していることがあるが、そうしたなかにあって、ポルトアレグレは具体的な制度や実践によって「新しい世界」を示してきたのである。
 ポルトアレグレ市は、人口一三九万人(二〇〇三年)のブラジル南部最大の都市である。ポルトガル移民に加えて、ドイツ、イタリアなどからの移民が多く、さながらヨーロッパの都市のような雰囲気だ。市の中心部は行政や商工業で活気にあふれ、メルカード・プブリコ(公共市場)では近郊の物産が取り引きされている。住宅地域は緑豊かな快適な空間をつくっている。公共交通は発達しており、上下水道などの社会基盤も整備されている。
 しかし、ポルトアレグレもまた失業、貧困などブラジルが抱える問題から自由ではない。失業率は高く、市中心には露天商などインフォーマルな雇用が多く見られ、郊外にはファベーラと呼ばれるスラムが点在している。
 こうした面からも、ポルトアレグレは決して理想の都市ではない。だが、ポルトアレグレが他の都市と違うのは、失業や貧困などの問題に行政と市民が一体となって果敢に取り組んできたことである。その結果、ポルトアレグレ市は、国連開発計画の人間開発指数(HDI)において、州都のなかではサンタカタリーナ州フロリアノポリスに次いでブラジル第二位の高い水準を達成した。

★労働党政権によって導入された参加型予算
ポルトアレグレを国際的に有名にしているのは、市民参加による予算決定だ(註1)。この参加型予算(COP)は民主主義の新たなモデルである。
 ブラジルの政治的伝統であるポピュリズムは、効率と効果の乏しい支出を増大させ、財政を悪化させた。政府の予算は、政治的な利権や発言力をもった人びとの間で配分され、政治的なチャンネルをもたない貧困層は、選挙期間中の一部を除いて政治から排除され、予算を配分されることはほとんどなかった。政府の過剰人員と過大な給与・年金支払いがさらに財政を悪化させ、本来であれば市民に向けられるべき支出は減少していった。ネポチズム(縁故主義)が支配し、政治家、政府、それらに寄生する民間部門には腐敗が蔓延し、国民には基本的な社会サービスは提供されなかったのだ。こうした事態は、軍政の拡張主義的な開発政策が対外債務とインフレによって経済が破綻した一九八〇年代以降に、さらに悪化していったのである。
 ポルトアレグレの状況も同じだった。他の大都市と同じように、農村からの人口流入によって周辺部にスラムなどの貧困者の居住地域を抱え、それらの地域では上下水道が整備されず、ごみは収集されなかった。失業者も多く、児童労働や不就学も存在した。さまざまな社会的排除が存在したが、既存の政治や行政機構はこれらの社会問題に有効に機能しなかったのだ。
 こうしたなかポルトアレグレでは、一九八九年に誕生したオリヴィオ・ドゥトラ市長率いる労働者党政権のもとで、住民・市民が予算編成に直接参加する参加型予算が開始される(参加型予算のしくみについてはP10参照)。参加型予算は、効率的で効果的な支出を可能にし、社会的な公正を向上させた。道路や上下水道、公共交通、保健、環境、教育、託児施設などの公共サービスが、これまでそれらにアクセスできなかった低所得層やスラムの住民などを中心に提供されたのである。同時に、予算決定の過程が透明になることによって、汚職の発生も抑制された。
 一九九三年以降、参加型予算は同じく労働者党のタルソ・ジェンロ市長に引き継がれ、制度の整備がなされた。さらにラウル・ポンテ政権(一九九七〜二〇〇〇年)、ジョアン・ヴェルレ政権(二〇〇〇〜二〇〇四年)と、四期一六年にわたる労働者党政権のもとで、参加型予算はその基盤を強固なものにした。二〇〇三年に誕生したルーラ政権は連邦レベルでも参加型予算制度の導入を試みている。

★議会と行政の機能を活かしながら市民参加も実現するしくみ
 代表民主主義・間接民主主義では、代理人である議員が依頼人である市民の意向や利益に沿って行動しないという「エージェンシー問題」がしばしば発生する。ポルトアレグレの参加型予算は、そうした欠陥を補完・克服するしくみである。参加型予算については、それが民主主義の基本的な形態である代表民主主義・間接民主主義を否定するものだとの批判があり得るよう。また参加型予算は、それまで予算案を作成してきた行政権を侵食する可能性もある。
 しかし、参加型予算は代表民主主義にとって替わるものではない。予算案は市議会によって審議され決議されはじめて正式なものとなる。行政は住民と協力して予算案の詳細を作成していく。社会サービスのニーズを最もよく知っている住民の参加によって、行政は優れた予算案を作成することができる。こうして参加型予算はむしろ議会や行政の機能と正統性を高め、民主主義を深化させる制度となるのだ。
 ポルトアレグレの第二期労働者党政権の市長であったタルソ・ジェンロは、参加型予算は伝統的な代表民主政治と市民の任意の直接的な政治参加を統合したものであり、両者による政治の共同運営形態であるとした(註2)。住民相互の議論、利害調整によって予算を決定する参加型予算は、ハーバマスのいう討議民主主義(Deliberative Democracy)の形態とされる。
 いま多くの国で、代表民主主義はエージェンシー問題などから十分に機能していない。他方で、直接民主主義は、ラテンアメリカの委任民主主義(註3)に見られるように、ファシズムに陥る危険をもつ。参加型予算は、この代表民主主義と直接民主主義の欠陥を埋めるものなのである。篠原一は、政治が正統性をもつには、政治システム内の討議・決定と、生活世界に根ざした市民社会における討議という二つの回路が必要であるとしたが(註4)、参加型予算は、そうした新しい政治システムの具体的装置といえよう。

    ★困難な現実を乗り越えるために生まれた連帯経済
 ポルトアレグレは連帯経済運動とそれを支援する制度の整備においても先駆的な都市である(註5)。ブラジルの連帯経済は、一九八〇年代から九〇年代の経済危機のなかで雇用が失われ、多くの人びとが社会的に排除されていくなかで、人びとの生存戦略として生まれた。連帯経済は協同組合に加えて、労働者自主管理企業、交換クラブ(註6)、零細企業が組織するアソシエーションなどさまざまな形態をとる。連帯経済が叢生した背景には、経済自由化以降に悪化した雇用状況、すなわち失業と雇用のインフォーマル化、それらに伴う貧困がある。連帯経済は雇用を創造し生活水準を改善することを目的とした。
 連帯経済の最も古典的な形態は協同組合である(註7)。ブラジルの協同組合は一九世紀末を起源とするが、リオグランデドスル州は協同組合運動が最も活発な地域である。ブラジルで最も古い協同組合は、一八八七年にサンパウロ、ミナスジェライス州で組織された従業員の消費組合であったが、一九〇二年にはリオグランデドスル州のノーバペトロポリスでワイン生産者によって最初の信用組合が、一九〇六年には同州で最初の農業共同組合が設立された。その後リオグランデドスル州をはじめブラジル南部で数多くの農業共同組合が設立された。この背景にはブラジル南部の農業が独立自営農によって営まれ、彼らの間で生産・流通・資金面での協力関係が目指されたことがある。一九三〇年に誕生したバルガス政権は協同組合運動の庇護者となり、三二年に協同組合法を公布し、五一年には国立協同組合信用銀行(BNCC)を設立した。一九七一年には軍事政権によって新たな協同組合法が制定され、全国の協同組合を代表する組織(OCB)が設立。リオグランデドスル州ではOCBの地域組織としてリオグランデドスル協同組合組織(OCERGS)が設立された。輸出向け農業が発展した軍政期には、協同組合は資本主義的企業のように行動したが、リオグランデドスル州など南部の協同組合の多くはそうした傾向には組せず、互助的な性格を維持した。
 またブラジルではヨーロッパの影響を受けて、数多くの労働者協同組合が組織された。一九三二年に初めて組織された労働者協同組合は、一九八〇年代以降の経済危機のなかでブラジル南部・東南部を中心に急増した。労働者協同組合は、主に半熟練・肉体労働者と専門職によって組織され、企業との交渉力を高め、労働条件を改善することを目的としている。労働者協同組合は連合組織(FETRBALHO)を形成し、リオグランデドスル州でもFETRBALHO-RGが置かれた。
 連帯経済のもう一つの形は、労働者による倒産企業の取得と自主管理協同組合としての再生である。それは直接的には雇用の回復を目的としているが、同時に、労働者の資本からの解放を究極の目的としている。
 一九九一年に倒産したサンパウロ州フランカの製靴企業マカーリ(Makerli)の経営を労働者が引き継いだことを契機に、組織的な運動が始まった。一九九三年には全国自主管理企業・株式参加労働者協会(ANTEAG)が設立され、リオグランデドスル州を含むブラジル各地で労働者による企業の自主管理への支援を行なっている。  

★連帯経済を支える多様な組織
 ポルトアレグレあるいはリオグランデドスル州には、連帯経済を支援するさまざまな組織が存在する。キリスト教団体カリタスは連帯経済への支援組織としては先駆的な存在であり、一九八〇年代に都市・農村の周辺や、貧困地域の住民に雇用と所得を創造する事業に資金を提供する「共同オルタナティブ・プロジェクト」(PACS: Projetos Alternativos Comunit?rios)を設立。その最初のプロジェクトは一九八五年、リオグランデドスル州で実施された。ポルトアレグレを拠点に活動するNGO「職業支援センター(CAMP)」は、一九九二年にマイクロクレジット(ミニプロジェクト基金)を設立し、都市のインフォーマルセクターに零細金融を行なってきた。
 一方、行政も連帯経済に積極的に取り組んできた。ポルトアレグレ市では一九九四年から生産商工部(SMIC)に連帯経済支援プログラムを設立した。SMICの活動で最も重要なのは、連帯経済に技術的支援を与えて自立させるインキュベータ(孵化器)機能である。リオグランデドスル州政府も二〇〇〇年に開発・国際支援局(SEDAI)に、連帯経済に経営、技術的な支援を与える大衆連帯経済プログラム(ECOPOSOL)を設立した。
 こうした制度に支援され、ポルトアレグレでは数多くの連帯経済が活動している。例えば縫製協同組合(UNIVENS)は、常に協同組合運動のモデルとされている。ここでは二五人の組合員がTシャツなど衣服の裁断、縫製、染付け、仕上げなどを、主に注文生産によって行ない、できあがった製品は市中心の公共市場やイベントなどで販売される。この縫製協同組合は、前述の市のミニプロジェクト基金のほか、連帯経済に経営・技術的な支援を行なうNGO「ボランタリー・連帯協会(AVESOL)」など多数のNGO・NPOからの支援を受けている。
 連帯経済は、市場経済が本質的にもつ欠陥を補完し、市場経済や資本主義経済に代わる生産関係と社会関係の創造を目的としている。その原理は、自主・協同・民主・平等・持続性などである。資本主義経済では人間の労働は利潤追求の手段となり、人間は労働力という商品として資本のもとに従属する存在になる。個別の資本間で行なわれる短期的視点でのむき出しの競争は、貧困や経済格差、環境破壊などをもたらし、社会に嫉妬、憎しみ、対立、暴力を生み出す。資本による利潤追求、資本蓄積競争はまた、過剰な生産能力と利潤の低下をひきおこし、資本主義経済システムの維持を困難にさせる。
 現実の連帯経済は、経済の自由化以降に悪化した雇用状況、すなわち失業と雇用のインフォーマル化、それらに伴う貧困に対して、雇用を創造し生活水準を改善する生存戦略という性格を強くもっている。その意味では、市場経済や資本主義経済の「オルタナティブ」として実行されているわけではない。しかし、こうした運動が広がることによって、市場経済や資本主義経済のなかに連帯経済の原理を埋め込み、さらに市場経済と資本主義経済を連帯経済のなかに埋め込むことを可能にさせる。

★ポルトアレグレが日本に示唆するもの
ポルトアレグレの経験は日本にも重要な示唆を与えている。日本では行政が膨大な財政赤字を累積しているにもかかわらず、行政改革は進展せず、予算が非効率に支出されている。無用な公共支出が継続され、談合による不正な支出も蔓延している。年金、道路、郵政事業などで官僚や公共団体が税金を浪費している。つまり、国家が社会を蚕食しているのである。
 他方で、財政赤字を理由に福祉や医療、教育などの社会サービス支出は削減され、分権を理由に地方は負担を押しつけられている。活力ある社会を理由に、勝者・金持ちを優遇する税制改革が進められている。
 市場では企業が競争力の向上を理由に、雇用を抜本的に見直し、パート、派遣、フリーターなどが増加し、これらの非正規雇用は労働者全体の三分の一を超えている。他方で正規雇用者には労働強化を強いられている。
 こうしたなかで代表民主主義は機能していない。政府・行政をどのように市民のものとするか、人びとのニーズにあった公共支出をいかにして実現するかは、失政によって悪化した財政制約のなかでの緊急の課題である。そのためには、予算決定に市民が参加し、行政の活動を監視することが必要となる。
 実際に日本でも、志木市、市川市、足立区、長野県などで住民税の一%相当の使途を市民が決定する仕組みが導入された(註8)。ささやかな金額であるが、税の効率的な利用、参加型民主主義の一歩として重要な試みである。また、中小企業経営者や従業員などによって、自主・民主・連帯の精神のもとで地域社会に根づいた新しいビジネスを創造する挑戦もなされている。中小企業経営者のネットワークである中小企業同友会の活動はその一つである(註9)。
 ポルトアレグレの参加型予算や連帯経済は、始まったばかりの日本の試みと比べれば、時期においても規模においてもはるかに先行している。経済市場化とグローバル化に対抗して新しい世界をつくってきたポルトアレグレから、日本社会は多くのものを学び得る。

【註】
1▼詳細は小池洋一「ブラジル・ポルトアレグレの参加型予算」(『海外事情』二〇〇四年一二月号)参照。
2▼Genro, Tarso , “O Or?amento Participativo e a democracia,” em Tarso Genro e Ubiratan de Souza, O Or?amento Participativo: A experi?ncia de Porto Alegre,” S?o Paulo: Editora Fuda??o Perseu Abramo, 1997.
3▼大衆の支持を背景に、議会を軽視あるいは無視し強引な政治運営をおこなう政治体制で、ネオ・ポピュリズムとも呼ばれる。政治学者オドーネルが名づけた。ラテンアメリカではペルーのフジモリ政権がその典型である。日本の小泉政権も同様な政治手法をとっている。
4▼篠原一『市民の政治学―討議デモクラシーとは何か―』岩波書店、二〇〇四年
5▼自分たちで作った品物や自宅にある衣服をもちより、自分の必要なものと交換する場。深刻な経済状態を乗り切るために人びとが考え出したもので、アルゼンチンやブラジルなどの各地域で広く行なわれている。地域通貨を用いた交換も行なわれている。
6▼ポルトアレグレなどリオグランデドスル州での連帯経済と支援制度については、Icaza, Ana Mercedes Sarria, “Solidaridade, autogest?o e cidadania: mapeando a economia solid?ria no Rio Grande do Sul,” em Luiz In?cio Gaiger (org,), Sentido e experi?ncia solid?ria no Brasil, Porto Alegre: Editora da UFRGS, 1994. ブラジルについては、Singer, Paulo, Introdu??o ? Economia Solid?ria, S?o Paulo: Editora Funda??o Perseu Abramo, 2002.
7▼ブラジルにおける協同組合の歴史については、Culti, Maria Nezilda, “ O cooperativismo popular no Brasil: import?cia e representatividade,” Trabalho apresentado no Tercer Congres Europeo de Latinoamericanistas, em Amsterdam-Horanda, 3-6 de julho de 2002.
8▼『朝日新聞』二〇〇四年九月一七日。
9▼内橋克人『「共生経済」が始まる−競争原理を超えて』NHK人間講座テキスト、二〇〇五年。

(月刊『オルタ』2005年3月号所収)

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